秩父音頭とは

関東の三大民謡の一つとして知られる「秩父音頭」は、埼玉県秩父郡皆野町がその発祥の地と言われ、毎年の8月14日には「秩父音頭祭り」が地元で盛大に催されます。

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秩父の地で盆踊りとして受け継がれてきた秩父音頭ですが、その起源は今から約200年前の文化文政の時代であったと言われています。江戸時代のほぼ後期に至るこの時代には江戸文化も華やかに隆盛を誇った頃で、全国各地で地方の土着歌謡が伝播し、民謡としてそれぞれの地域に根差した時代でもありました。
秩父地方も江戸に近い土地柄もあり、江戸歌舞伎の伝来などで発生した民謡の一つとして秩父音頭があると言われています。

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起源の頃はそのように伝わっていますが、具体的に秩父音頭の唄や踊りの発祥については定かではありません。一説では、江戸文化の中継地域でもあった当地において、中山道の宿場町から秩父の若者達がもたらしたと言われています。

その踊りには、当時の秩父の人達の生業の一つであった養蚕の所作が含まれており、更に江戸歌舞伎の振付の影響も見られるといいます。

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当時、土着の民謡などは、地域や人によって唄の節や踊りはそれぞれに異なっているのが普通の事でした。定まった形で伝承されるのではなく、その時節の盆や正月を祝い喜ぶ気持ちや、日々の嬉事や哀事などをそれぞれに表現するものでした。
大人達の唄う土着の民謡には、総じて低俗な歌詞や卑猥な内容のものも多かったと言います。

秩父の地元で細々と継承されてきた秩父音頭ですが、時代が進むにつれてその卑猥な歌詞の内容などに規制の目が向けられるなどして、徐々に衰退する傾向にありました。
そのような昭和初期の折、地元皆野町の医者である金子伊昔紅という人が、秩父音頭消滅の危機感を感じ、唄と踊りの復興を試みます。
自らふさわしい歌詞を考えるとともに、一般からも歌詞を公募しリニューアルに至ります。そして昭和5年に明治神宮遷座10周年の祭りに「秩父豊年踊り」として奉納することで好評を博し、更に「秩父音頭」と名を変えて、広く知られるに至ったという事です。

その為、現在の歌詞は新民謡に部類に入れることも出来ますが、地元で受け継がれてきた所作も残る等、秩父の伝統的な民謡として現在も地域興しに大きく貢献しています。